森が貧しくなっている
熊が人里に下りてくるのは生息数が増えたためではなく、山で食糧が手に入らなくなったためである。
熊が出没するのは森が貧しくなったから
生息数が増えたから人里における出没や人間への被害が増えたと言っている専門家は基本的な論理ができていない。
昭和の拡大造林で針葉樹の乱植が行われるまでは、山はブナをはじめとする広葉樹で覆われていた。熊の主食はブナの木の実である。稲という草の実を主食とするヒトと同じく熊にも主として好む食べ物がある。熊は木の実を食し、広葉樹の拡大と調整を助ける。
広葉樹がなければ森は成り立たず、山は水を貯められず、多くの生き物を養えない。森が貧しくなれば水が減り、川が貧しくなり、海は磯焼けする。
山を豊かにすることだけが真の解法
ドングリが大凶作の年に熊の出没が増える。であるならば、「ドングリがなぜ大凶作になるのか」こそ問うべき重要な問いではないか。その解決以外で熊が人里に現れることを正しく防ぐ方法はない。
山に食べ物が豊富にあれば、熊は山から下りてこない。空腹でなければ人間を襲うこともない。山が豊かであれば山奥でひっそり暮らすだろう。十分に食い溜めした満腹の熊が危険を冒して人間を襲うだろうか。人間が熊を本能的に恐いと感じるように、熊も人間を恐いと感じている。できることなら安住できる山から出たくないはずだ。
生態系を豊かにする生態系ファーム
熊に関する巷の議論として、まず野生生物である熊の生息数を人間都合でコントロールしようと思っていることが恐ろしい。工業の発展とともに自然生態系を貧しくしてきた結果が農業・林業・水産業の衰退である。食料自給率が100%を超えているのは東北地方に限られる。それは山が豊かな証拠である。その東北で、山の守り神たる熊に間違った鉄槌を下してどんな未来が待っているだろうか。私たちは熊よりも無知で残酷な人間のほうが恐ろしい。
私たちは単一の作物を育てるのではなく、生態系全体を育てる「生態系ファーム」の運営を盛岡や二戸で開始している。これから協力者とともに山にブナ林を戻す活動も開始する予定である。昭和に荒らされた山の反省をする者は少ないが、ゆとり教育を受けた私たちの世代が前の世代から負の因果を断ち切り、未来のこどもたち、7代先の子孫たちのことを考え、50~100年か けて豊かなブナ林を山に戻していく。
私たちは空気を読まない。空気は行動するために、呼吸するためにある。

